人間悪魔とトリックスター

去りし日の自己は所有物にあらず

主義主張の無い唄 その2

すっかり忘れかけていたというか下書きに沈んでいたこの記事。1年なんてあっという間に過ぎていくんだなあなんてのをこんな変なことから感じてしまった。クラス替えなんて人生の一大イベントだったのに、今はもうボーッとしてたら一学期なんてすぐにでも終わっちゃいそうなスピードで時がゆく。しかしそう感じるのは決して悲観的ではなく、むしろワクワクしているから、やっぱり今が一番最高。なんてクソみたいな楽観的思考で生きているのが私の自慢です。

 以下、続きの記事本文。

 

とにかく私は、BUCK-TICKの曲において「歌詞がいい」とかそういうことは全然期待していなかった。

これから先の内容は失礼を承知で申し上げるが、櫻井敦司の歌詞は、BUCK-TICKを聴き始めた頃の私は、いつも一辺倒で特に内容が無いなあなんて思っていた。そりゃあ、この頃の私はBUMP OF CHICKENが誰より好きで、藤原基央の歌詞が何より好きだったから、音楽における「歌詞」にとても重きを置いて聴いていたから。BUMP OF CHICKENや或いはYUIは、私の思考を揺さぶるような衝撃、新たな価値観の呈示のようなガツンとくるフレーズが潜んでいた。

「生まれたことを恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ」

「制服脱ぎ捨てた16のアタシに 負けたくはないから」…

励まされたし問いかけられたし、その度に曲の解釈を考えたり自分の思考について見つめ直したりした。おかげで、こんなに斜に構えた人間が出来上がってしまった。

櫻井敦司の歌詞は、これらの正反対にあると感じている。つまり、世の中に対して斜めから切り込むことや、自分に発破をかけるような言葉は並べない。ただ、目の前の情景、自己嫌悪、愛と死、夢。

「嫌いだ 今夜もまた眠れやしない あなたを夢見て夢 虚ろな夢」

「どんなに人を傷つけた 今夜は優しくなれるかな」

「僕はなぜ風の様に雲の様に あの空へと浮かぶ羽がない」

例えばこういう風に生きようぜとかこんな奴はダサいとかそういう主張が一切無くて、とにかく内省的で、それがとても曲と合っていて、良い雰囲気を醸し出していて。そういうのがとっても心地好くて。

BUCK-TICKの音楽には何も強制されない。とファンの方が言っているのをよく聞く。私はその事についてピンときていなかったけれど、最近それが凄くよく分かる。櫻井敦司の歌詞は、とても優しい。彼が歌う悲しみは何者かへの慈しみであり、怒りはなく、感情の届かない他者ではなくただただ自己を映している。無責任な言葉がない。「同じことしか歌えないんですよ」というようなことを言っていた気がするけれど、十分すぎる。櫻井敦司という人は、曲に対しての想いとか意味とか、そういうものが限りなく無くて。かと言って浮いている訳でもなく。狂おしくて愛おしい夢、変わらない言葉は彼が彼自身のことだけを歌っているから。何にも問いかけてこない、それは心地好い同居人のような感覚というか。無言で過ごせる関係っていいよね!っていう正にその感じ。なんて言いながら、時折、無限の闇を切り裂いてゆけなんて背中を押してくれたり、皆が笑ってくれることが出来過ぎた夢の様だなんて儚いことを言ってくれたりするから、ドーンと聴き手に届くんだよなあ。恐るべし櫻井敦司。あなたの美しさは何も見てくれだけではなく、そうした詞の端々からも感じることが出来るのよ。

今回のツアーにて、なんて事無いわと思っていたLove Paradeがあんなにグッとくるなんて。表現者櫻井敦司は、時々胸にドンと直接響く声を届けてくれるから、だからずっと見逃せない。彼が歌っているのは同じことかもしれないが、彼の歌は同じではない。素敵な表現者だ、と思う。

ちなみに私はノクターンの歌詞が大好き。

 

  閉じ込めた情熱 雨が降る僕の中

  傘を差さない君が佇む

 

うーん、美しい!