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主義主張のない唄 その1

先に述べておくと、これは、戸川純のインタビュー記事を読んで想起されたものである。

 

少し前に観た関ジャムで、チャットモンチーがえらく称賛されていて嬉しかった。中高生時代、いわゆる思春期によく聴いていたから。他にも、昨今はRADWIMPSもその歌詞の世界観だったりがやけにフューチャーされていて、これまた嬉しい。私は、BUMP OF CHICKENRADWIMPSが大好きで、YUIチャットモンチーを歌いながら過ごしていた、ごく普通の女子だった。中学生の頃にGLAYを好きになり、L'Arc~en~Ciel、BUCK-TICK黒夢なんかを順に聴いていって、所謂90年代V系も大好きだった。

ただこんなにもBUCK-TICKにハマるのは、もっと先の話ではあるけれど。

 

中でもBUMP OF CHICKENは私の考え方だったり、内面すべてを創り出してくれたと言っても過言でない。supernovaなんて、あの頃、道徳の教科書に載せるべきだと思っていた。教科書より何より大切なことを私はBUMP OF CHICKENに教わっている。感謝しかない。これはガチ。

初めてライブで観たときには本当にそこにいるっていうことだけで涙腺にきた。good gliderだった。その頃、私はbeautiful gliderを学校の帰り道に聴いてガチ泣きしたりしていた。藤原基央の歌詞が私は何より好きだった。

そう、その少し前に観た関ジャムで、いしわたり淳治が「人は歌を聴いて思い出をそこに収納する」と言っていた。とても印象的だった。藤原基央の歌詞は正に私にとっての収納棚のようなもので、感じること考えること嬉しかったこと辛かったことなど本当に色んなことを思いながら聴いていた。そして聴く度にそれらをリフレインさせて色んなことをまた考えた(今思えばひどく内向的なことを実践していて、これが現在の私を形成したのだなと分かる)。

だがしかし最近はめっきりBUMP OF CHICKENを聴かなくなってしまっている。完全にその一つ上(私のwalkmanのアーティスト一覧において)のBUCK-TICKで止まっている。専らBUCK-TICK三昧。BUMP OF CHICKENは聴かなくなっているというよりは「聴けなくなっている」のかもしれない。

作品としてはRAY以降、時期としては丁度突然彼らの露出が増えた頃、何故だか、不意に興味を持てなくなってしまった。RAYはろくに聴いていないし最新作のButterfliesなら尚更…。嫌いになったわけではない。最近よくメディアに出る彼らが嫌なわけでも、初音ミクとコラボする彼らが嫌なわけでもなければ、チャマがTwitterを始めたことが嫌なわけでもない。何もないのだ。何もなくなってしまった。

つまり、私の全てを創ってくれた藤原基央の歌詞世界は、あまりに私の内面に訴えかけが過ぎる。もう私は音楽に自分を形成する何か革新的な思考などを求めなくなってしまった。もう全部昔にBUMP OF CHICKENが形成してくれたから。

そうなった時、私はBUMP OF CHICKENが聴けなくなってしまった。あの頃と同じ気持ちではないから、もう戻れないから、戻りたくないから…だから聴きたくなくなってしまった(よく音楽を聴いてその当時の気持ちが甦るなんて言うけれど、その当時の気持ちがいつでもキラキラしてるはずないよね)。 

 

それで、最近はもう専ら、BUCK-TICKばかり聴いていて、どんどん好きになってしまっている。去年の911横浜アリーナで初めてライブを観た。セトリがどうのとかClimax Togetherがどうのとかではなくてただ単純に「本当にいる!!!!!!!!」とBUCK-TICKの存在そのものにとても興奮した。温かいライブだった。どんどん好きになってしまってアトムツアーは彼らの温かいライブを観に2公演行った。同じライブを違う会場で2回も観たのは初めての経験だった。これまでは分からなかった「全通」の意味がようやく分かった。叶うならば、と考えてしまう。叶わないけど!

 

そうそう、それで、BUCK-TICKファンの方はよく「BUCK-TICKは聴く人に対して何も押しつけない、だから良い」ということを言っていて、正直私はそれがピンとこなかったわけで。BUCK-TICKの歌詞世界が非常に内向的で場面描写的であることは分かるけどそれが良さ?あまりピンとこなかった。私は櫻井敦司の歌詞は特別に好きではないというか、それ以前にそこまで意識したことはないというか、BUCK-TICKの曲がありそれを構成する一部分として櫻井敦司の歌詞があるというそれだけの認識だった。

 

なんだか長くなりそうなので続きます。