さよならを言わずにさよなら出来たらこんな気持ちにはならなかったんだろうか

0711

大したことないって思ってたのがそもそもの間違いだったのかもしれない、なんて考えてしまうほど思い出す。旅行に行ったのもゲーセンに行ったのもドトールに行ったのも全部そう。他にいないから、そりゃあそうに決まってる。でもそんなことに気付かないほど、そんなことが凄いことだと気付けないほど、長い時間を過ごしてしまった。

今更未練はないけれど、いきなり他人にもなれなくて、でもそうじゃないならどうやって関わればいいのかが分からないから、もしかしたらこれが後生最後になったのもしれない。別にそれでもいいけれど、いいんだけれど、それを思うとなんだかどこか空っぽになったような気がして、変わらない筈なのに何かを受け入れなきゃいけないような気がして、そうしたら平常心ではいられないような気がして、だけど何にも変わらないから、やっぱりこんなことを考えているほうがおかしいんだって思って、そこで思考停止する。

思考停止、で、寝落ち。

 

0724

薄情ものかもしれないが、人の気持ちなんてコロコロと変わってしまうんだってことや、二週間という月日は私を全く違うものにするに十分な期間なんだってことが分かってしまうくらい、もうなんか、今はどうでもよくなってしまった。ぐぬぬ。日記をとることの大切さを知る。忘れてしまう前に、私の苦しみ悩みのいろんなことを記しておかねば。いつかこんなこともあったかもなんて思えたら、全部報われるような気がする。

働くということがまさに今なのかはよくわからない

4月3日に入社式。そこから一週間以上が経過して、ひたすら研修、グループワーク。そしてすっかりしっかり者ポジショニング。我ながら大したもんだと思う。僭越ながらなんやかんやでどんな場面でも愛される性質らしく、もちろん天然の要素だけではなく自分でもそれなりの努力はしている結果だけど、私なんかより遥かに可愛い人達を差し置いて「可愛い」と言われるポジションに腰掛けていたりする。ありがたい。

それとやっぱり賢い人に囲まれるのはいいなあと毎日思ってる。私なんかよりずっと高学歴でずっと真面目に研究してたような人達ばかりで、芯がちゃんとあって、適当な会話が要らない。必要以上の関わりがなくても必要な関係が保てる。話が通じる。思いやれる。当たり前の事だけれど、高校まではあまりに子供で不安定でそんなことは難しく、その後の4年間は、そうか、芯の無い人間ばかりだった。そんな、居心地の悪さの原因を今ようやく突き止めることができた。私は、今の場所に辿り着けたことに大きな喜びを感じている。これまでの努力が全て報われたような達成感、この感覚に溺れずにいたい、というのが一ヶ月のハイライト。

給料、ひとまず借金の6分の1を返済して、自転車を買ったら、家賃の引き落としもあって、気付いたら半分になってた。でも、これからもう貧困生活とはオサラバと思えば、つい嬉しくて、ちょっといいものを食べたりした。食べる量が日に日に減っているのは、きっと大した問題ではなく、とにかく今は、我慢なんてしないで生きたい。

他人を許せない世の中になってませんか

私の好きなコピー
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http://filt.jp/backnumber/no68.html

 

異端児を許せない世の中になっていませんか。平等平等と叫びながらすべてを平らにするために、はみ出た人間を排斥していませんか。

高嶋ちさ子さんの話が面白くてとても好きだ。日本でのあだ名が悪魔で、海外でのあだ名はデビルだったらしい高嶋ちさ子さん。せっかちすぎて角を曲がるときによく角にぶつかるがそれは「私が早いのではなくて角が来るのが遅い」という高嶋ちさ子さん。ちなみに我が家では急いたり焦ったり忙しない場面では「ちさ子やん」「ちさ子かよ」と突っ込みが入る。そんなデビル高嶋ちさ子さん。

あの人はとんでもないけれどそのとんでもなさをよく自覚しているし、公にして批判されることも何とも思ってない素振りで、だってそうなんだもん仕方ないじゃんと言わんばかりに清々しくどうしようもなく悪魔。そりゃああんな人が身近にいたら困るだろうけど勿論そうではないわけで。となれば他人事なわけで。私はその存在を「面白いなあこの人」という風に感じるわけです。

だけどどうだろうこの人がテレビに出るとあのDS事件のことばかりが再拡散されるわ、この人は無理だとか人を見下してる態度だとか何だか好きになれないとか散々なネガティヴな反響がある。

そしてそれを見たメディアが「高嶋ちさ子に非難続出…」などと書き、テレビを見ていない人、ネットの記事しか見てないようなヤツが「なんだこいつろくでもない」と文面だけで判断して切り捨てる。そりゃ文面だけで見たら本当にろくでもないから、ネットニュースを見た人の反応は恨まない。そういう風になるだろうことを分かった上で、せっかくその場では笑いに還元された人間のろくでもなさを、言葉だけでその場の笑いを抜きにして、ろくでもなさだけを切り取って人間を晒し者にする。そういうネットニュースを、私は何より嫌悪する。

テレビ業界は一体どうして、番組の放送内容をネットメディアが記事にすることを許しているのか。野放しにしているのか。結局のところ炎上商法で、それで毎回話題になってそういう記事を書きたい業界人が見てくれるんならWIN-WINです、というつもりなら、私はテレビすらも嫌いになってしまいそう。

 

少し話は逸れるが、昔は戸川純のような人も普通に歌番組に出ていたってことを思うと、私はもうみぞみぞして仕方が無い。世間に受け入れられてたの?と母に聞くと「あの人は変わり者だったよ」と言っていた。それでもやはり「変わり者」として受け入れられていたということだろうなあと思った。ネットの無い時代では人々の目に触れるモノ、所謂メジャーなモノは本当に少なかっただろうと思うが、それでも今よりも幅広く個性のある粒ぞろいだったんじゃないだろうかとも思う。今は何でも見られるようになって聴けるようになって触れられるようになったけれど、メジャーシーンは遥かに縮小しているんじゃないか。本当の意味での「サブカルチャー」なんてもう存在しないんじゃないかって思う。昔は良かった、なんて言われて、クソ野郎と息巻くのが若者なのだとして、私はといえば、そうなのかもしれない、と思いを馳せるばかりで、これもある種の「ジェネレーションギャップ」かなあ、なんて考えていた。

アダルト

大人になるって素晴らしいことだ

夜寝る前にゆううつでどうしようもなくなったり、テストの点数が悪いとか、体育の授業があるとか、一日休んだら自分の居場所をすっかり無くしてしまうかのような、そんな感じも覚えなくていい。素晴らしい。夜、布団の中で泣いてしまったのは、どうしようもなく辛いことがあって、それが今の自分ではどうしようもないのだということがまざまざと分かってしまったから。きっとどうにかする手段もあったはずで、それをした者はきっと不良と呼ばれるんだろうな。私はといえば、今ではだめだ、早く時が経てば…と目を閉じて寝て起きてを繰り返しそして泣いていた。不良にはならなかった。ただ、自分ではどうすることもできない時の流れに頼るしかなく、どうにもならないそのもどかしさに、どうすることもできず…悶々するばかりだった。それでも時は流れてくれて、ようやく今報われようとしている。諦めなくて良かった。永遠に続くのではないかと思った憂鬱な日々も終わったんだ。ここから私の人生が始まるんだ、なんて大袈裟だけど、あの頃の私ならばそう考えていたに違いない。だから私は言いたい。この日のために生きてきたし、私の人生はここから始まるんだって。

音楽に集中しろと言うヤツは音楽に集中してないヤツ

かの有名なジャパニーズロックバンドONE OK ROCKのボーカリストTakaさんについて少しばかり考え事をしたので記しておく。

そもそも何故このような事を考えたかといえば、Takaが日本人ファンの行動に苦言を呈したInstagram投稿がきっかけだった。まあざっくりしか見てないけど、要するに、彼らはなぜ海外でライブをするのか。日本でやったら確実に満員御礼、しかしあえて知名度のない海外でライブを開催→前知識なく、純粋に音楽で現地のリスナー達を夢中にできるかという所に挑戦したかった。ということでしょう。それが、いつまでも日本から熱心なファンが付いてきて、海外だと近距離で会えて話せて写真も撮れるからとかって、キャーキャー言って追っかけ回されて、常に最前にいる。彼らが本当に勝負したい現地の彼らを知らないリスナー達を差し置いて。熱心な日本人ファンが最前ではしゃいでるから、現地のリスナーの評価(リアクション)が目立たない。熱心な日本人ファンのせいで、いつまでも「邦ロック界の至宝のワンオク」から抜け出せない。本当は、もう既に立場が確立してしまった日本ではなくて、音楽やパフォーマンスを改めて審査される新人バンド的な立場の海外で、ちゃんと評価されたいのに。といったところだろう。

ちなみに、ここで言っておくと、私は特にONE OK ROCKのファンではない。聴けば格好良いな、とは思う。かと言って自分で積極的に聴くことはない。それはただ単に、好みの問題で。したがって私は特にインタビューを読んだわけでもなければ音楽を聴き込んだわけでもなく、彼らの思いなんて知ったこっちゃない。言ってしまえばそんなに興味は無い。つまりTakaが言いたかったであろう気持ちを長々と書いたが、あんなものは全部妄想に過ぎないのです。

 

私はTakaに対して常々、可哀想だな、と思っている。

「ワンオクのTakaに似てる。」

これは私が丁度高校生あたり、るろうに剣心の主題歌を彼らが手掛けたあたりにYouTubeの若手バンドのコメント欄に溢れてた決まり文句である。ONE OK ROCKファンはどこか唯一神Takaを崇めるかのようなフシがあった。

「ワンオクのTakaの方が上手いじゃん」

ファンがそう呟く度に「あいつそんなに歌上手いか?」「うるせえ馬鹿野郎Takaなんてただの二世のボンボンでコネで音楽やって金もあって大したことも歌ってねえじゃねえか」といったようなアンチを生み出すことになった。斯く云う私もあまり好きではなかった。勿論格好良いとは思ったけれど「「ワンオクのTaka」が好きだと言う人」が苦手だった。とんでもなく偏差値の低いファンが沢山いると思った。

それでも彼らはどんどんメジャーになってどんどん格好良い曲を書いて、今やシーンの中心にいる。CDアルバムを出せば20万枚売れる。私は、嫌いなわけではないが、日本の音楽シーンにアイドルやアニソンが入り込んでくることに拒否反応がある。先日見たビルボードの総合音楽チャートでは未だ殆どがAKB48だった。いくら配信や再生回数やバズりで総合したとしても、やはりCD売上が凄すぎて太刀打ちできない。音楽チャートなのに、音楽以外の部分で価値を創造しているモノがランクインしている。これは、純粋な音楽チャートではないと思った。だけど記録にはこれが残るのだろうとも思った。「2016年の音楽シーンを振り返りましょう。」ぞっとした。

私は、ONE OK ROCKは、今の日本で純粋な音楽だけを売れる、稀有で貴重で尊い存在だと感じている。だから私はONE OK ROCKが「僕達は日本のバンドです」と言い放つことには希望しかないと思っている。こんなに腐敗した「日本の音楽シーン」を土壌に、海外で頑張ってくれている。何故、普段はアイドルなどを批判している人達は、これを良く思わないんだろう。彼らが「日本の音楽」を背負ってくれようとしている、闘おうとしてくれている、どうしてそれが、喜ばしいことでないのだろう。

 

そしてやはり彼らは、ファンが残念らしい。この件に関して、Takaが普段ワンオクに興味の無い人やそもそも音楽を聴かないという人から批判されるのは、ある程度分かる。言わなくてもいいことまで、公に言ってしまった感は否めない。

しかしながら私がガッカリしたのはこの件に際して「もうライブ行きません」などとほざく輩がいたことである。「そんなこというんだ。どこそこのライブの時には現地の女の子に部屋番号教えて一緒に飲んで、そのままホテルに消えていったくせに」なんていう呟きがバズってた。だから、ほら、ワンオクファンは、ワンオクのTakaのファンは、これだから嫌なんだ。しかも、これのソースは「私が聞いた話では」だって。なんだこの薄っぺらい話。

こんな薄っぺらい話で、もうライブに行きたくないなんて、一体何のためにこの人は海外までライブを観に行ってたんだろう。ONE OK ROCKはロックバンドじゃないのか。握手券やチェキやサイン会を目当てにファンがCDを買うようなバンドなのか。そうじゃないだろ。ONE OK ROCKは、おまえの大好きなONE OK ROCKは、他のどんなバンドよりも格好良いロックバンドなんだろ。例え本当にそうだとしたって、音楽が良ければいいじゃん。そう思うけど、そうじゃないのか。どうなんだ。

私はTakaに対して常々、可哀想だな、と思っている。

きみは悪くない、きっと、私はきみのファンではなく何も知らないけど、きっと悪くない。悪いのは偏差値の低いファンだろう。私はつくづくそう思った。そしてきみは普段何にもきみに興味の無い第三者達から「天狗だ」「思い上がりだ」「何様だ」と罵詈雑言を浴びることになってしまった。本当に可哀想だ。

それに乗じた多くのメディアの存在も看過し難い。「ワンオクのTakaがファンに苦言」そう紹介すれば、彼のファンでなければ彼をバッシングするだろう。「天狗だ」「思い上がりだ」「何様だ」そう言われるだろう。更にそれを紹介すれば、もう彼らに良いイメージは持ち辛くなってしまう。どうして日本の音楽シーンに彼らが偉大な功績を残すまでの道程をこうも台無しにするのだろう。だからいつまで経っても日本の音楽シーンは音楽以外の大きな武器があるアイドルやアニメ界隈でしか市場を動かせないんじゃないか。だから、音楽が純粋に評価される機会が潰えていくのではないか。あまり同情したくはないがゲスもそうだろう。もう純粋に音楽を評価されることはないだろう。果たしてこれを「自業自得」と言い切って良いのだろうか。だからいつまで経っても、清廉潔白な「恋愛禁止」の彼女達の音楽ばかりが、日本の音楽シーンを代表してしまうんだろう。たとえそれが仮初めだとしても。いい子ちゃんたちが歌っている音楽しか、公では流せないんだろう

最早音楽はサブカルチャーだ。純粋に音楽を評価する人間なんて「音楽オタク」じゃないか。

 

繰り返すが私はONE OK ROCKを特別好きではない。むしろ全然聴かない。walkmanにも入っていない(と、思う)。

だけど彼らは格好良いバンドだと思うし、このくらいのレベルのロックバンドが日本の音楽シーンに当然の様にいてもいいんじゃないかって思う。新曲を出す度にMステに出たり、CMにも起用されたりして、当たり前のようにお茶の間にあって欲しいと思う。そうでなきゃ、あまりにもロックバンドが少なすぎるでしょ。現代。

 

追記

ダラダラと思うまま書き連ねていたら話がバラバラになってしまった…。

彼の発言(投稿)については、ONE OK ROCKを応援したいという個人的な想いと、ワンオクの(Takaの)ファンに対する個人的な嫌悪感(偏見)を加味すれば、支持したいと思う。だけど今し方、彼の発言をファンや他のアーティストが擁護しているのを見て気分が悪くなった。そうじゃない感。そうじゃない方向に「Takaは悪くない!」と煽動している感。彼の発言はやはりダサかったんだ。言い方も悪かった。擁護されて更に浮き彫りになってしまった。

こんなことで彼らの音楽に邪念が入ってしまうことが残念でならない。ファンでない私ですらそう思う。彼は間違っていたかもしれないが彼のファンならば面倒臭くて厄介な人達も沢山いそうだよなあ、なんて偏見で私は彼を擁護したい。それだけのはなしでした。

主義主張のない唄 その1

先に述べておくと、これは、戸川純のインタビュー記事を読んで想起されたものである。

 

少し前に観た関ジャムで、チャットモンチーがえらく称賛されていて嬉しかった。中高生時代、いわゆる思春期によく聴いていたから。他にも、昨今はRADWIMPSもその歌詞の世界観だったりがやけにフューチャーされていて、これまた嬉しい。私は、BUMP OF CHICKENRADWIMPSが大好きで、YUIチャットモンチーを歌いながら過ごしていた、ごく普通の女子だった。中学生の頃にGLAYを好きになり、L'Arc~en~Ciel、BUCK-TICK黒夢なんかを順に聴いていって、所謂90年代V系も大好きだった。

ただこんなにもBUCK-TICKにハマるのは、もっと先の話ではあるけれど。

 

中でもBUMP OF CHICKENは私の考え方だったり、内面すべてを創り出してくれたと言っても過言でない。supernovaなんて、あの頃、道徳の教科書に載せるべきだと思っていた。教科書より何より大切なことを私はBUMP OF CHICKENに教わっている。感謝しかない。これはガチ。

初めてライブで観たときには本当にそこにいるっていうことだけで涙腺にきた。good gliderだった。その頃、私はbeautiful gliderを学校の帰り道に聴いてガチ泣きしたりしていた。藤原基央の歌詞が私は何より好きだった。

そう、その少し前に観た関ジャムで、いしわたり淳治が「人は歌を聴いて思い出をそこに収納する」と言っていた。とても印象的だった。藤原基央の歌詞は正に私にとっての収納棚のようなもので、感じること考えること嬉しかったこと辛かったことなど本当に色んなことを思いながら聴いていた。そして聴く度にそれらをリフレインさせて色んなことをまた考えた(今思えばひどく内向的なことを実践していて、これが現在の私を形成したのだなと分かる)。

だがしかし最近はめっきりBUMP OF CHICKENを聴かなくなってしまっている。完全にその一つ上(私のwalkmanのアーティスト一覧において)のBUCK-TICKで止まっている。専らBUCK-TICK三昧。BUMP OF CHICKENは聴かなくなっているというよりは「聴けなくなっている」のかもしれない。

作品としてはRAY以降、時期としては丁度突然彼らの露出が増えた頃、何故だか、不意に興味を持てなくなってしまった。RAYはろくに聴いていないし最新作のButterfliesなら尚更…。嫌いになったわけではない。最近よくメディアに出る彼らが嫌なわけでも、初音ミクとコラボする彼らが嫌なわけでもなければ、チャマがTwitterを始めたことが嫌なわけでもない。何もないのだ。何もなくなってしまった。

つまり、私の全てを創ってくれた藤原基央の歌詞世界は、あまりに私の内面に訴えかけが過ぎる。もう私は音楽に自分を形成する何か革新的な思考などを求めなくなってしまった。もう全部昔にBUMP OF CHICKENが形成してくれたから。

そうなった時、私はBUMP OF CHICKENが聴けなくなってしまった。あの頃と同じ気持ちではないから、もう戻れないから、戻りたくないから…だから聴きたくなくなってしまった(よく音楽を聴いてその当時の気持ちが甦るなんて言うけれど、その当時の気持ちがいつでもキラキラしてるはずないよね)。 

 

それで、最近はもう専ら、BUCK-TICKばかり聴いていて、どんどん好きになってしまっている。去年の911横浜アリーナで初めてライブを観た。セトリがどうのとかClimax Togetherがどうのとかではなくてただ単純に「本当にいる!!!!!!!!」とBUCK-TICKの存在そのものにとても興奮した。温かいライブだった。どんどん好きになってしまってアトムツアーは彼らの温かいライブを観に2公演行った。同じライブを違う会場で2回も観たのは初めての経験だった。これまでは分からなかった「全通」の意味がようやく分かった。叶うならば、と考えてしまう。叶わないけど!

 

そうそう、それで、BUCK-TICKファンの方はよく「BUCK-TICKは聴く人に対して何も押しつけない、だから良い」ということを言っていて、正直私はそれがピンとこなかったわけで。BUCK-TICKの歌詞世界が非常に内向的で場面描写的であることは分かるけどそれが良さ?あまりピンとこなかった。私は櫻井敦司の歌詞は特別に好きではないというか、それ以前にそこまで意識したことはないというか、BUCK-TICKの曲がありそれを構成する一部分として櫻井敦司の歌詞があるというそれだけの認識だった。

 

なんだか長くなりそうなので続きます。

ビッグスタディ

20170110

卒業論文を執筆していて、それがようやく書き終わった。分量は14ページとやや少な目に収まってしまったけれど致し方ない。何度も読み直し、掛けた時間を無駄にしないクオリティの論文には仕上がっている。そりゃあ今日だって、ちょっとここのニュアンス変えたいなあ、とトイレに行くのを若干我慢しながらやり始めたら気付けば2時間経っていた。便意よ何処へ…。

だから、自信があるとかではない。「これだけやったんだから当然」のクオリティなのである。それが良いとか悪いとかは評価されてから分かる。良いと言われたらラッキー、くらいに思っておく。

既に卒論を提出したというゼミ生が、先生からボロクソに言われたと書いていて、正直かなりビビっていた。というのも、今からゴッソリ書き直せとか言われたらそれはもう「無理です」と言わざるを得ない(言えるはずないけれど)。分量が少ないと言われたら、期日ギリギリになっていてけしからんと言われたら、私の費やした時間を否定されたらかなり参ってしまうなあ、なんて色々思いを巡らせていたけれど、結果はハッピーエンドだった。大変よく出来ています、私の指導学生であると胸を張って言えますと、思わず胸が熱くなる内容のメールが来た。嗚呼先生!頑張りました、ありがとうございます。

ボロクソに言われた人はきっと、先生に対して「提出しました」と事後報告をしてしまったとか、あるいは余程ひどい内容の物だったんじゃないだろうか。先生は何もなくて文句を付けるような人ではない。でもそれは、私が先生に気に入られて良くしてもらっているからこそ言えることだとしたら、、なんてことを考えてしまって、私はそんなことが気になってしまって、何も発言出来ずにいます。

 

その後

1月11日に提出完了。

結局15ページ+要旨で、まあなかなかの出来になった。よかった。これで解放される!とてもいい気分だし、やっぱり書いてよかった。「法学部出身です」「どんなこと勉強したの?」「賃貸借契約の当事者の交替と敷金の承継についてです」とこれで言える。よかった。最後、付け焼き刃だとしても、身に付いた知識があると思えることで、今までの4年間に意味が出来たような気がする。ありがとう大学。ほとんどバナナムーンか三四郎のオールナイトニッポン0を聴いて過ごした大学。ゼミ資料作成の際には10時から18時まで過ごした図書館。ありがとう図書館。図書館と5階のラウンジだけがイヤホンをしなくても落ち着ける好きな空間だった。その他だと苛々して仕方がなかったよ荒んでるから(私が)。でも好きだったよ大学。ゼミも楽しかった、良い経験だった。ありがとう大学。せいせいするほど!